そんな気の子。

たけのこ、たけのこ。

やんツーさんと無限猿の定理マシン

 

六本木で見たやんツーさんの作品に衝撃を受けた。

 

 

 

以来、やんツーさんの展示を追いかけるようになった。本も買った。

 

やんツーさんの作品ではテクノロジーが想定と違う使われ方をされ、アートに干渉する。ふつう、テクノロジーにはある程度の想定された使われ方がある。そしてその使われ方は人間の生活を豊かにするものである。しかし、彼の作品ではそれが否定され、「こんな使われ方だけど、君はどう思う?」と問いかけてくる。 めちゃくちゃ面白い。

 

この面白さを受けて僕もなんかしたい。湧き上がる制作意欲。正直、現代アートのことはあまりわからない。でも僕にはデイリーポータルZがある。月に一度(ある程度常識の範囲内で)自由に表現することが許された空間!

 

記事書きました。

 

 

自動サイコロ振り器は本来麻雀に使われるんだろうね。麻雀が生産的かどうかはともかくとして、少なくとも人間の役には立っている。

 

しかし今回は意味のない文字の羅列を生み出すだけの完全無意味装置になった。ある意味、無駄づくりの究極形だ。(「無駄づくり」と違って当初の目的すらない) 

 

そしてそこからかろうじて産み落とされた言葉を紡いで作られた「希望の光、田中花子」は果たして作品と呼べるのだろうか。万が一この「希望の光、田中花子」を読んで心が揺さぶられたとして、その発生源がサイコロだということに、何を思えばいいのだろうか。むずい。むずい記事を書いた。

 

今後は毎月サイコロとChatGPTでデイリーポータルZの記事を書くことにしました。うそです。人間はすぐうそをつくね。おわり。