最後の鍋をした。
最後の鍋とは、春先にかけてスーパーで鍋の素がほとんど売られなくなったときの名残惜しい鍋のことである。今日がそれだった。
思えば今年もたくさんの鍋をした。鍋はよい。具材を切って入れて煮込むだけなので調理が楽だし、たくさんの野菜を取れる。しかもうまい。今年もありがとう、鍋。
しかし鍋のことを鍋というのには常日頃違和感がある。鍋は調理器具の名前でありそれを料理の名前にするのはおかしい。カレーのことを皿というようなものだ。
あの茶碗蒸しでさえも単に茶碗ではなく「蒸し」をつけることで調理器具感から脱却している。鍋はそれすらもしないで単に鍋と言われている。
いや考えればわかることで、しょうゆ鍋、とんこつ鍋などのように「○○鍋」として料理になっていたものを総称するため、共通する「鍋」だけを抜き出したせいでおかしなことになったのだ。きっと。
「○○Pay」を「Pay類」と呼ぶストロングスタイルを思い出した。
Pay類 pic.twitter.com/hrlGi1SDd8
— 岡崎 絶太郎 !important (@zhetto64) 2020年2月11日