昨日行った大喜利カフェのことばかり考えて過ごしていた。
会社の食堂を出たところにあるポスターを見て「写真で一言だ」と思った。会社の給湯室では「昨日のお題『南極に建ったビル』で、ビルの縁語としてあまりにも絶妙な「給湯室」を回答に入れてた人すごかったな〜」と思った。
ビルの縁語として、「給湯室」はあまりにも絶妙だ。そういう「こう来たらこう」みたいなパターンがあるのだろうか。
フリースタイルダンジョンでは即興ラップではなく「こう来たらこう」とネタを暗記する方法が「良くないもの」として捉えられ、R-指定にめちゃくちゃ反撃されていた。大喜利界にもそういう風潮があるのか、いやむしろパターンを暗記してナンボの世界なのか、私はひよっこすぎてなにもわからないのであった。
そういえば昔読んだオモコロの記事で「大喜利の解答において『確定申告』は頻出ワード」と言われていた。
大喜利と相性のいい言葉の条件はなんだろう。
・狙いすぎていない
・地味
・日常にある
かな〜。
かまどさんも言っているように、まじめっぽい言葉が間抜けな場面とギャップを作りやすい。ということは大喜利のお題に対して「相性のいい言葉」を思い浮かべ、それを軸に回答を組み立てればいいのか…?そのためには「こう来たらこう」の面白縁語をいっぱい用意しておけばよいのか?
いや、そんなに単純な話じゃないんだろなー。使い回しはいずれバレるし、散々擦られた言葉はやがて笑えなくなる。面白縁語辞書は日々アップデートされているのかもしれない。そもそもこれは大喜利の回答テクニックのひとつにすぎないのかもしれない。
結局は日常を解像度高く生きるということではないか。日常を解像度高く生きた結果として、あらゆるお題に対する面白縁語や面白い観点、切り口が即座に思い浮かぶ。
「日常を解像度高く生きる」、それって仏教の真髄じゃん。大喜利は仏教。
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快挙を伝える新聞
ラミネート入りの写真も見せてもらえた☺️
生首で大谷翔平選手の大きさを感じられる入り口
「大谷翔平の実際の頭の位置に生首の写真が貼られている」
事実は大喜利よりも奇なり。