そんな気の子。

たけのこ、たけのこ。

プロ野球というプロジェクト。

野球が好きだ。野球が好きすぎて本質を見失いそうになるが、野球とはチームスポーツであり、多くの場合、それはプロジェクトだ。

 

PMBOK(第5版)におけるプロジェクトの定義では、「プロジェクトとは、独自のプロダクト、サービス、所産を創造するために実施する有期性のある業務」となってる。

 

プロジェクトは何らかを創造する。野球の場合、情熱や感動を創造する。(私が観に行くと失望を創造することも多いが)。また、優勝という名誉を創造することもある。

 

また、プロジェクトには始まりがあり、終わりがある。高校野球六大学野球プロ野球も、始まりがあって終わりがある。一つ一つがプロジェクトだ。中でもプロ野球は、世間が注目する、1年がかりの大プロジェクトである。

 

今日は、プロ野球をプロジェクトという観点で観ると面白いのではという話である。

 

プロ野球には12球団ある。つまり、12のプロジェクトがある。各球団にはファンがいる。ファンは自分の応援するプロジェクトのなりゆきを見守り、ネットや居酒屋であれこれ議論する。

 

1年がかりのプロジェクトの始まりは、秋である。ドラフト会議だ。よい人員を獲得することがプロジェクトの成功につながる。その次に、キャンプがある。プロジェクトというのは何よりも仕込みが大事だ。そして、開幕。143試合、プロジェクトの成功/失敗は143試合の結果を持って決定する。そしてまた秋を迎え、プロジェクトは終了する。

 

監督とはプロマネである。監督は元選手であることが多い。現場を知り尽くしたスペシャリストがプロマネをやるのは大切なことだ。ただしプロマネにはプロマネならではのノウハウも必要になる。名選手名監督にあらずとはよく言ったものである。

 

とまぁそんなことはどうでも良くて。

 

野球とは何だろう。スポーツとは何だろうと考えることがよくあって、なかなか難しいのです。木の棒で球を叩いてグラウンドを走り回ることに何の意味があるのか。球を蹴って網に入れることに何の意味があるのか。これを観たところで人間の暮らしが向上するわけではない。宇宙人が地球に来てスポーツを観たら、「訳のわからないことで熱狂してるなあ」と思うに違いない。よくよく考えるとこれはスポーツだけじゃなくて、あらゆる「ゲーム」に当てはまる。ゲームとは人間が勝手に考えたルールに従って勝ち負けを競うものだ。ゲーム自体は価値を生み出さないが、それに感情を揺さぶられる人がいて、娯楽としての価値を生み出す。娯楽とは、生きる上で必要のない価値である。スポーツがない世界でも人は生きていける(生物としての営みに支障はないという意味で)。アイドルのライブや映画鑑賞も娯楽である。

 

で、プロ野球。おじさんたちが真剣な顔をして球を木で叩いて走り回るゲームを1年のうちに143回繰り返すという謎プロジェクトを、ファンは固唾を呑んで見守る。どう考えても滑稽な光景なのだが、やっぱりやめられない。今年もCS進出が見え隠れする中で、私はずっとそわそわしている。

 

そしてプロジェクトの一部始終はマスコミによって報道されており、その情報をもとにファンは期待と失望を繰り返す。なんだこれは。こんなにもパブリックな謎プロジェクトが存在してよいのか。よい。