そんな気の子。

たけのこ、たけのこ。

20210720 指標、許す/許せないについて

Abemaの笑ラウドネスを見た。観客の笑い声の量を数値化して評価に用いるという新しいシステムのお笑い大会。ある意味平等というか、清々しい。面白かったなあ。観客が審査に影響するシステムは珍しくないけれど、その多くは観客が意思を持って投票したり拍手したりするものだ。笑ラウドネスは観客から自然発生する笑い声に基づいているので、より客観的な指標と言える。(もちろん、観客一人一人笑いのツボは違うので、運の要素は少なからずある。)

 

これ、他の競技にも使えないだろうか。例えば、コンペでどの提案を採用するかを、審査員の心拍数によって決めるとか。いい提案→わくわくする→心拍数が上がる という寸法だ。でもこれだといくらでもハックされてしまうな。スライドとスライドの間にサブリミナル的にエッチな絵を挟むとか、自分の番の時だけこっそり部屋の空調の設定温度を上げるとか。

 

オリンピックの担当者もなんかこう、もうちょいうまく決められんかね。どうせ炎上したら辞めさせられるのだから、最初から炎上ポテンシャルを数値化して炎上ポテンシャルが一定値以上の人は除外するとかやればいいと思う。というか普通やるよね〜。

 

とか言って炎上ポテンシャルばっかり気にしてるとそれはそれで「無難な人選」とか言われるんだろうなあ。大変だなあ。

 

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この際全然ちがう話だけど、作品と人格について。作者が何か咎められるべきことをしたら、その作品もお咎めを受けるべきなのか。

 

 

面白いなぁ。僕は逆で、人格と作品は切り分けない派なのだが、厳密に言うと、「人格界で不適切なことがあった場合、それより後にその人から作られた作品に限って不適切扱い」派である。なので結局nomolkさんと同じく、過去の作品まで遡って発売禁止にするのは反対だ。もうこれ個人の許せる/許せないの正義の話なので答えはないのですが。

 

スキマスイッチ全力少年とかガラナは大好きだけどハタハタ事件以後の作品は聞きたくなくなってしまった。(まだハタハタ許してない!笑)

 

逆に、押尾学やまとなでしこに出てた時は多分まだクスリやってないだろうから、押尾学やまとなでしこの再放送からカットしなくていいと思う。

 

思い出野郎Aチームの最高のフリーライブで最低な人種差別発言をしたAマッソも、あれ以来笑えなくなってしまった。なんかめちゃくちゃ器が小さいな自分!

 

ちなみに小山田圭吾の不適切な行為は彼の学生時代にあったので、私の正義に当てはめると、それ以降の作品は全部不適切ということになる。つまりほぼ全部だ。おわり。