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そんな気の子。

たけのこ、たけのこ。

玉手箱。

Eテレをつけたら浦島太郎の話をしていた。乙姫は浦島太郎に玉手箱を渡し、絶対に開けてはならないと言う。絶対に開けてはならないものをもらった浦島太郎はかわいそうだ。人からもらったものだから捨てるに捨てられないし、開けることもできない、ただの邪魔な箱である。

 

我々の世界にも、このように「捨てるに捨てられないもの」は結構あると思う。これを現代の玉手箱と呼びたい。

 

たとえば、おみやげ。そもそも浦島太郎がもらった玉手箱は竜宮城のおみやげなので、捨てると相手に悪いという思いがある。これは現代にもあてはまり、おみやげ全般は捨てるのが憚られる。

 

特に捨てにくいのが、おみやげでもらったお守り。お守りをゴミ箱に入れるのは、なんだかバチが当たりそうである。お守りは本来、そのお守りの神社やお寺に返すのが正しい処分方法らしい。しかし東北の奥地のお寺のお守りをおみやげでもらったところで、それを返しに行くのは骨が折れる。こうして僕の家にはどんどんお守りが増えて行く。捨てたい。

 

他には、手紙。特に年賀状。これも人からもらったものだから捨てにくい。また、何年か先に万が一、(億が一、) 友人と連絡を取りたい時に年賀状に書かれている住所が役に立つかもしれない。こうしてどんどん年賀状は増えていく。捨てたい。

 

要は人からもらったものは容易に捨てにくいという話である。「ときめくか、ときめかないか」で言えば全然ときめかないので、さっさと捨ててしまえばいいのだけれど、捨てようとするとその人の顔が浮かんでしまうのでなかなか捨てられない。捨てたい。

 

もっと広い視点で言えば、人類にとっての玉手箱(捨てるに捨てられないもの)はお墓だと思う。お墓を壊し、無い物にすることは憚られる。しかし人は必ず死ぬので、お墓はどんどん増えていく。何万年かたってそのときも人間が生きているなら、その時は世界中がお墓で埋め尽くされて、隙間のちょっとしたスペースで窮屈そうに生きているのかも知れない。

 

 

と思ったけど、道路や施設の建設で古墳が出てきたけど仕方なく壊したという話をよく聞くので、ある程度時間が経つと捨てることへの罪悪感が閾値を下回るのかなと思った。